アンジーのケセラセラ記ログ

素敵な街や一期一会を振り返ります!

事故のあと、

2000年4月頃、旦那さんが亡くなって2ヵ月経って、春が来ましたが、長男は入学予定だった小学校ではなく、実家の近くの私も通っていた小学校に入学することにしました。突然の変更で幼稚園の友達とも引き離され、次男も楽しみにしていた幼稚園入学を取り止める結果になりました。


刑事裁判も始まるので、霞ケ関の検察に呼ばれたりしたのもこの時期でした。幼い子を連れて、家から遠い検察に呼びだされ、こちらは警察の時よりはパソコンの入力スピードが速かったのですが、それでも入力に併せながら、いろいろ質問されて、事故のことなどを話すのは精神的にもキツい、つらい作業でした。

また本当に酷かったのが、旦那さんが亡くなったN病院から解剖されるT病院に搬送したN病院指定の葬儀社。搬送代で50万円近い請求書が届きました。若くて旦那をなくしたので足元を見られたのでしょうか。なんでこんなに高額請求なのかと聞いたら、旦那さんの背が190センチ近い(実際は186センチ)ので特注の棺桶だったとのこと。私は不当請求(そんなお金ないし・・)として、N病院に掛け合ったり、費用を先延ばしにしていたら、その某葬儀社から訴状が届き、裁判所へ出頭を命じられる始末。こちらの裁判は夫の葬儀をしてくれたN葬儀社が弁護士をつけてくれたので、裁判は勝ち、某葬儀社の会社名を世の中に口外しないという約束で、支払いはしなくて良いという勝訴でしたが(勝訴しても今でも悔しい思い出なのですが)、某葬儀社の弁護士には虐められ、本当に理不尽なことだらけで疲れ果て、たった数ヶ月で10キロほど痩せてしまったような時期でした。そのうえ、旦那が死んだときにいろいろ助けてくれた同じマンションの真上に住んでいたOさんの旦那さんも35歳ぐらいで突然死(過労死)したりと、俄かには信じがたいことが続きました。Oさんの家はうちより1歳違いの同じ幼稚園に通う5歳と2歳の子供がいました。こんなに若い人が短期間で1階と2階で死んでしまったので、「呪われたマンション」という噂さえたったそうです。余談ですが3階のご主人はお祓いに行ったそうです。Oさんのご主人の件も本当にショックで悲しすぎました。本当に長く、悲しい出来事ばかりの3ヶ月でした。


よく3人で「ママには内緒」と男同士の密約があったようです。渡良瀬遊水地にて



明日に続きます。