アンジーのケセラセラ記ログ

素敵な街や一期一会を振り返ります!

ある日突然人生のトンネルに、

昨日の続き 

2000年1月30日、日付けが変わった頃でしょうか、警察から電話があり、警察から行くように言われた病院には母が車を運転して、次妹が付き合ってくれました。
子供たちは何も知らずにぐっすり寝ていました。
道中は警察から電話が嘘でイタズラ電話であることを必死に祈っておりましたが、病院に着くと遺体安置所に連れていかれ、すべては現実と知りました。たった数時間で人生が激変し、暗いトンネルに入ってしまったのです。


旦那の死の悲しみと並行して、小さな子供たちをどうやって育てていけばいいのか?来月から給料はどうなるのか?など、現実的なことにも押し潰されそうでした。悪夢から醒めるようにと壁に頭をぶつけてみたり、朝起きると悪夢だったと思えるように、布団から出ず祈りながら目を開ける、そんな私は結局仕事にも行けず退職し、子供の世話もできない日が続きました。


旦那さんの事故は、旦那さんの職場近くの交差点で信号無視をした車と旦那さんの原付バイクの衝突事故で、犯人は轢き逃げし、逃走。翌日ぐらいには逮捕されたのですが、20代男性、友人宅で酒を飲み、飲酒運転だったので、怖くて逃げ帰ったとのこと。旦那さんは誕生日を1週間後に控えたまだ31歳。夢いっぱいのその途中で、あっけなく人生の幕を降ろされてしまった事が本当に悔しくて悔しくてどうしようもありませんでした。


交通事故だったこともあり、私には書かないといけない書類が山のようにあり、夜中に頭に激痛を覚え「脳溢血で死ぬのかな?」と思った日もありました。事故直後は何度か事故の遭った現場(旦那さんの職場の近く)に近い警察へ呼ばれ、起訴するための調書のためにいろいろ話を聞かれたのですが、パソコンが不得意そうな初老の刑事の入力ペースに合わせながら事故の話をすることが、本当に苦痛でしたし、本当に疲れ果てた記憶があります。


警察やいろいろな手続きに行く以外は家に引き籠り、悪いことをしてないのに人に会うのが辛く、人目を避けて暮らしていました。長男の卒園式にも行けないダメママでした。
本当に小さかった長男と次男には「父さんは死んで、母さんは病んでる」という不安で辛い思いをさせていたのですが、当時の私には子供の気持ちすら考えてあげれる余裕もなかったのです。


1999年8月 旦那さんの故郷岩手龍泉洞に行った時の写真



明日に続きます。