アンジーのケセラセラ記ログ

素敵な街や一期一会を振り返ります!

グラバー園~猫とトミーさんに想いをよせて

長崎のグラバー園は、元々このエリアにあった旧グラバー住宅をはじめとする3つの洋館のほか、明治時代に長崎市内に点在していた6つの歴史的な建築物を移築復元した、長崎を代表する観光名所です。

この日は修学旅行生でとっても賑やかでした。さらに女子中学生が『尾曲がり猫!』だ、と慌ててみると長崎名物!幸運を呼ぶといわれる『尾曲がり猫!』発見。

写真取れなかったので、画像お借りします

→(https://www.welcomekyushu.jp/article/?mode=detail&id=456

尾曲がり猫にはしっぽの形が異なるものがいて、「まがりしっぽ」「短尾」「お団子しっぽ」の3種類がいます。

長崎の猫の8割がこの尾曲がり猫と言われていて、そのかぎしっぽで幸せをひっかけてくるという幸運の猫と言われています。

幸先いいのでしょうか。楽しみです。


長崎は古くより港を開き、幕府より正式に外国人の居住が認められて、長崎外国人居留地が誕生した歴史がありますよね。

この時代に建築された、150年以上前の貴重な建物である旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅は、国指定重要文化財に指定され、中でも旧グラバー住宅は、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つとしても登録されています。


旧グラバー住宅は、貿易商であり、グラバー商会を設立した英国スコットランド出身のグラバーさんが住んでいた邸宅です。弱冠21歳でスコットランドから来日。

文久3年(1863)に建立し、現存する日本最古の木造洋風建築物として、昭和36年(1961)に国指定重要文化財に指定されました。グラバーさんは東京に移転してからも、たびたび長崎に戻りここに滞在。


明治44年(1911)のグラバーさんの死後、長男トミーさん(長崎のミッションスクルールから学習院大学、そしてアメリカの大学に行き、帰国後は実業家としてまた水産学者として活躍)こと、倉場富三郎さんが昭和14年(1939)、三菱長崎造船所へ売却するまで、妻のワカさんとここに住んでおりました。

混血の豊かな才能溢れるの富三郎さんは、長崎の町が商業と観光の拠点となるよう国際交流に力を注ぎましたが、想いと努力とは裏腹に戦争が勃発。

戦艦「武蔵」建造中の造船所を一望できる「グラバー邸」に住む彼らにスパイ容疑がかけられ売却したそう。

日本人として生きてきた富三郎さんにとって、それは耐えられない屈辱であったそうで、その苦悩から終戦直後、自ら命を絶ってしまった悲しすぎるファミリーヒストリーの結末です。


自由亭喫茶室:

オシャレな空間の中で、港を一望できる喫茶室でビーフシチューをいただきます