アンジーのケセラセラ記ログ

素敵な街や一期一会を振り返ります!

あの坂本八幡宮に

Day4、最終日は想像以上に盛りだくさんでした。汗💦

午前中は大宰府に行ってみました。


ホテルが博多バスターミナルに近いので、バスに乗ろうとしたら長蛇の列。

立ち乗りで結構寿司詰め状態。途中、空港経由でしたが空港で待ってた人は乗れずの状態です。


我々親子は大宰府天満宮手前の「大宰府政庁跡」で降車して、坂本八幡宮に。

「令和」の典拠となった、「初春の令月、気淑(うるわ)しく風和らぐ」の文言のゆかりの地は「坂本八幡宮」が舞台。


でもバスを降車したのは私たち母娘のみでした。

大宰府政庁跡

その奥にある「坂本八幡宮」は小さな神社です。730年、ここで役人で歌人でもあった大伴旅人が自身の邸宅に大宰府及び九州一円から役人を招いて、「梅花の宴」と呼ばれる歌会を開催し、梅をテーマに32首の歌が詠まれ、序文に先ほど紹介した令和の典拠となった 文言が記されていたそうです。


さて、ここから大宰府までは時間があれば素敵な散策コースのようですが、再度、バスで大宰府へ向かいます。

軍艦島クルーズ

軍艦島@長崎港から船で約40分のところに位置する端島のこと。お昼のツアーに参加しました。最初は軍艦島デジタルミュージアムで歴史を学びます。https://www.gunkanjima-museum.jp/


その後クルーズ船でGo!

世界遺産に登録されて一気に有名になりましたが、この小さな海底炭坑の島は、岩礁の周りを埋め立てて造られた人工の島で、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになったそう。


最盛期の1960年には約5300人もの人が住み、当時、日本一の人口密度を誇っていました。


島内には小中学校や病院などを完備、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もあり1974年に閉山、しばらくは歴史の表舞台から消えていましたが2009年に一般の方の上陸が可能になり、2015年7月世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」として正式登録されました。軍艦島に向かう途中、三菱重工業長崎造船所には日本で初めて建設された電動クレーン「ジャイアント・カンチレバークレーン」が見れました。そこで戦艦「武蔵」を建造したそうです。(前出トミーさんを想い出し涙)


私が行った日は天気がよく、上陸できると思ったのですが、結果はNG。残念。


2021年4月1日から長崎市の「上陸の可否に関する基準」が厳しくなったそうで、いまはなかなか上陸が難しいようです。なので近くまで行って船から鑑賞です。


軍艦島に近づくと、どんどん波が荒くなります。(船席の前ポケットに入っている黒いビニール袋の使用率が上がります。💦)


私も三半規管が弱いので、写真も撮ることもできずただジーっと座っているのみ。ご興味ある方は→

https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/51797

隣の母親はいたって元気でしたし、始終、「上陸できるんじゃない?」と言い続けておりました。笑


↑軍艦島ミュージアム、当時の住居再現。


軍艦島の雰囲気だけでも味わいたい方は、2015年の夏に「進撃の巨人」が実写映画化になり、軍艦島の建物を背景にして撮影されています。また007シリーズの中で、2012年上映された『007 スカイフォール』が軍艦島をセットモデルとして、CGで再現しています。

長崎平和公園で猫と平和を祈る

前後しますが、グラバー園の前、Day3は長崎平和園からスタートです。

原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界恒久平和への願いを込めてつくられました。

長崎市民の平和への願いを象徴する平和祈念像。作者は北村西望氏は長崎出身の彫刻家で、この像は神の愛と仏の慈悲を象徴し、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めたそう

約18.5ヘクタールと広大な敷地。

園内には「平和祈念像」や「平和の泉」、そして「原子爆弾落下中心地」などがあり、当時について知ることが出来る大変貴重な場所です。

本当世界が平和であってほしいです。

猫も平和を祈って、


近くにある浦上天主堂。

浦上天主堂は、爆心地の北東約500mに位置します。浦上カトリック信者が30年の歳月をかけて、積み上げていった煉瓦造りの天主堂は、原爆により、わずかな堂壁を残して倒壊しました。天主堂の正面には2基の塔があり、その上に鐘楼がありましたが、原爆被爆により鐘楼のドームは南側のものが天主堂内に落下し、北側のものは天主堂北側に落下し、がけ下を流れる小川まで滑落しました。この鐘楼は、鉄筋コンクリート製で直径5.5m、推計約50tと言われています。長崎原爆資料館-被爆遺構マップより。

戦争の風化が進む中で 今なお傷跡を我々に伝えてくれています。