アンジーのケセラセラ記ログ

素敵な街や一期一会を振り返ります!

山の日に1980年富士山落石事故を思う

夏になると思い出す、夏休みの大事故。

特に1980年の富士山落石事故は同じ日に富士山にいたので忘れられない事故です。

当時小学校5年生ぐらいだったと、、。

夏休みに父と弟と三人で富士山登山に。幼い妹と母はお留守番でした。もちろん私は初富士登山でした。

電車で河口湖に行きバスで富士山五合目にいき、「金剛杖」を購入。詳しくはhttps://bewave.jp/fuji/words/pilgrim_staff.html

金剛杖を持って頂上目指してGO!道中の各山小屋で杖に「焼印」を押してもらいながら、五合目から六合目、七合目、八合目と登っていきましたが、、、。

弟は私より2歳下ですが、日ごろからネズミのようにチョロチョロして落ち着きがない性格で、登山中も走り回ったり、父が「空気薄いからゆっくり歩け!」と言っても興奮して動きまわって、案の定、途中からグッタリ。父が弟を背負って宿泊予定の八合目にある山小屋までどうにか到着。弟を背負って登山した父が私の人生で一番かっこよい父でした。


しかし弟の症状が芳しくなく、山小屋より降りたところにあるらしい診療所に行くことに。

10歳の私はひとり八合目の山小屋に泊まった思い出があります。

大学生ぐらいの2人のお姉様が見かねて世話をしてくれました。

翌朝、父が八合目の山小屋に来て、弟は高山病だから下山すると。

えっ!御来光見れない、というショックもありましたが、弟が心配なので、お姉様たちとお別れして下山することに。

下山は富士山の砂走りを板なしのスキーのように七合目あたりから直滑降で降りた思い出があります。(下降しながら以外に弟が元気!と思った想い出。)


しかし、その数時間後に大惨事がこの砂走りで起きました。1980年8月14日午後1時50分ごろに富士山の山頂付近で落石が発生、吉田ルートの登山道を転がった落石が八合目から六合目にかけて多数の登山者を巻き込んだ事故。この事故による死者12人、負傷者は29人を数え、国内の落石事故としては史上最悪の惨事となったのです。


下山後は5合目から新宿までバスでダイレクトに戻り、当時は携帯電話もなく、このような大惨事が起きているとも知らず父が母に電話することもなく、夕方自宅に戻ると、、、。

わーびっくり、親戚が大集合。母と祖母が泣いていました。

私がただいま!というと、親戚一同が幽霊を見るような目で私を見つめ、暫し呆然としていた光景は42年経っても鮮明に思い出します。


もちろんこの落石事故の遺族の方のことを考えると辛いのですが、テレビで、私と同じ年ごろの子が事故に巻き込まれたそうです。ニュースを見て私が亡くなったと思った母は今すぐ警察に行かないと、みたいなシチュエーションでした。


たまたま弟が高山病で下山しましたが、頂上まで行っていたら、、、同じ時間帯に砂走りを下山予定だったので、優しかったお姉様たちは大丈夫だったのか、当時は知る術もなかったです。


日本人が愛する世界遺産の富士山。

いつか、亡き父との想い出の富士登山にチャレンジ(リベンジ)したいなと考えています。


黙祷。